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ピラティスのはじまり

最近でこそ多くの人に知られるようになったピラティスですが、それが人の名前だとご存知の方はかなりマニアックかもしれません。ピラティスは、「Joseph Hubertus Pilates」(ジョー)という人名が由来です。ジョーの人生を追いながら、ピラティスがどのように生まれ、どのように現在の形となったかをお話ししたいと思います。

 

 

誕生~成人 運動への関心の高まり

ジョーは1883年にドイツのメンヒェングラートバッハに生を受けました。幼少期より喘息やくる病、リウマチ熱などに苦しむ病弱な子どもで、こうした病気と闘うために運動に関心を持ったと言われています。

ボディビルと体操で鍛えられた彼の身体は、14歳になる頃には解剖学の教科書でポーズを取るほど整った体型に仕上がっていました。成人になるとスキーやダイビング、体操やボクシングなど、あらゆるスポーツを熱心に行ったそうです。

同時に、知識を得るため、常に様々な運動療法も研究していました。「身体と心、精神のバランスが取れた人間」という古代ギリシャの理想に夢中になり、独自の運動システムを開発するになりました。

 

 

20代終盤~30代半ば イギリス滞在と第一次世界大戦

1912年にジョーはイギリスに移り住み、ボクサー、サーカスのパフォーマー、スコットランドヤードの護身術のトレーナーとして生計を立てていました。

しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発。大戦で敵対するイギリスにいたドイツ人のジョーは、ランカスター近くの収容所に他のドイツ人とともに拘留されました。

自由を奪われ、孤独で厳しい状況下にありながら、20年の独学で得たヨガや禅、古代ギリシャ、ローマの身体療生法を収容所の人々に教えました。

マシンや道具を使わない「マットワーク」として知られているピラティスのエクササイズが形になりはじめたのは、この頃でした。彼はこの運動療法を「コントロロジー」と呼びました。

 

それから英国とアイルランドの間にあるマン島の収容所Knockaloe Internment Campに移送されました。そこで病気や傷害を負った拘留者のために看護やリハビリを行い、独自の運動方法で指導しました。

ジョーは病院のベッドのスプリングを取り出し、寝たままの患者がスプリングの抵抗を利用して運動できるようにしました。これが、後のピラティスマシン設計につながる発明となったのです。

 

現在ピラティスで使用されている器具は、その革新的なデザインによって、マットワークエクササイズでは再現が難しい動きも、的確に再現させることができます。動きを補助し、身体を強化するという優れた性質により、より効率的に身体を動かすことができるのです。

そして、そんな今日のピラティスの器具は、ジョーがこの当時設計したものと大きな差はありません。バネの張力、手や足を保持するストラップ、背中、首、肩のサポートは当時と同じく現在でも重視されていることです。

 

 

30代半ば~40代初め 終戦、ドイツへの帰国

1918年、第一次世界大戦が終戦。ジョーはドイツに帰国しました。帰国後、ハンブルグとベルリンで彼はフィットネスとコンディショニングに関する考えを策定しながら開業医から学びました。

なお、終戦したこの年は、インフルエンザの流行がイギリスを襲った時期でもあり、何千人もの方が命を落としました。しかし、ジョーから運動の指導を受けていた人は一人も体調を崩すことがなかったそうです。これは彼の運動療法の有効性を証明していると評価されています。

その後、ジョーはドイツの役人から独自の運動療法を憲兵に教えるように依頼されましたが、そこで彼は政府が秘密裏に軍隊を再建しようとしていることに気づきました。ジョーは戦争に反対し、ドイツを永久に去ることを決断しました。

 

 

40代 アメリカでスタジオ開設

1926年、ジョーはアメリカに移住しました。その航海中、彼は後に(3回目の)結婚をすることになる保育士のアンナ・クララ・ズーナーに出会います。

そして、ジョーとクララはニューヨークの8番街にフィットネススタジオを開設しました。スタジオはニューヨークシティバレエ団と併設しており、バレエ団員を対象にサービスの提供を始めました。

1929年にそのスタジオを「Pilates Universal Gymnasium」としてニューヨーク市の電話帳に掲載しました。

 

 

50代~60代 ダンサーを中心に広まったピラティス

1930年代後半には、ニューヨークはダンサーたちのメッカになっていました。そしてこの時代、「ピラティスはダンサーの怪我を治す」という評判を得たのです。

ジョーの運動療法がダンスのコミュニティで支持されるようになったのは、主に、ダンス理論で多大な功績を残したルドルフ・フォン・ラバン(1879-1958)を通じてのことでした。

また、モダンダンスのパイオニアであるハンヤ・ホルム(1893-1992)も、ジョーのエクササイズを多くのモダンダンスのカリキュラムに採用しました。それらは今でも「Holm Technique」の一部として受け継がれています。

また、ピラティススタジオに来た人々の中には、2人の有名なモダンダンサーも含まれていました。一人はルース・セント・デニス(1879-1968)。もう一人は、テッド・ショーン(1891-1972)です。ショーンは、バークシャー山脈のダンスセンター、「ジェイコブス・ピロー」で教えるために、エクササイズプログラムの開発をジョーに依頼しました。

そしてジョーの評判を聞きつけ、ダンサーだけでなく俳優やアスリート、一般の市民にも知られるようになり、 広く認知されるようになったのです。

 

 

ジョーの死とコントロロジーの継承 「ピラティス」へ

1967年、ジョーは83歳で亡くなりました。ジョーは自らが開発したフィットネスのメソッドを「コントロロジー」と呼んでいました。それは、精神による筋肉のコントロールを推奨することに関連するものです。身体のバランスを保ち、背骨をサポートするのに役立つコア姿勢筋に意識を向けることが含まれます。

コントロロジーは、多くのダンサーのトレーニングとリハビリテーションの中心的な要素になりました。

そしてそのダンサーたちは、ジョーから直接指導された第一世代のピラティスティーチャー(=エルダー)になりました。

 

その中には、

キャロラ・トリアー(Carola Trier 1913-2000)、

イブ・ジェントリー(Eve Gentry 1909-1994)、

ロン・フレッチャー(Ron Fletcher 1921-2011)、

キャスリーン・スタンフォード・グラント(Kathleen Stanford Grant 1921-2010)、

ブルース・キング(Bruce King 1925-1993)、

ロリータ・サン・ミゲル(Lolita San Miguel 1934-)

ハンナ・サクミルダ(Hanna Sakmirda 1925-2005)、

ジェローム・アンドリュース(Jerome Andrews 1908-1992)、

ボブ・シード(Bob Seed)、

ナジャ・コーリー(Naja Cori )、

メアリー・ボーエン(Mary Bowen 1930-)

などがいます。

 

ロバート・フィッツジェラルド(Robert Fitzgerald)やジェイ・グライムズ(Jay Grimes)など他のクライアントも後にティーチャーとなりました。

ジョーの最も近い生徒とアシスタントは、姪のメアリー・ピラティス(Mary Pilates 1923-)とアイリーン・ズーナー・ゼロンカ(Irene Zeuner Zelonka)でした。

ジョージ・バラシンに紹介された若いダンサーのロマーノ・クリザノフスカ(Romans Kryzanowsk 1923-2013)は、1941年から1944年までジョーとクララに師事し、結婚してからはペルーに移住しました。ジョーが亡くなり、クララが1970年に引退した後、ニューヨークに戻って彼らのスタジオの運営を引き継ぎました。

 

このように多くの優秀な弟子を有するジョーでしたが、遺言を残しておらず、ピラティスの功績を残すための継承ラインを指定していませんでした。また、生涯に渡って設計を続けた運動器具の特許もほとんど所有していませんでした。

それにも関わらず功績は残り、エルダーたちによって継承されました。ジョーのコントロロジーはやがて「ピラティス」という呼び名で親しまれるようになり、今やその実践者は1200万人に上るまで栄えるようになったのです。

 

 

 

著書について

1934年、ジョーは著書、『Your Health』を発表しました。64ページの薄い本でしたが、バランスの取れた身体とはどういうものかを記し、フィットネスに関する理論と原則について述べました。彼は、コントロロジーメソッドが全ての人にもたらす利点を説明しています。執筆にあたり何十年にわたる科学的研究、実験、研究結果に基づき、心と身体のバランスを崩す様々な問題や病気を調べ上げており、当時として時代を先駆けた内容となっていました。

 

二冊目の著書『Return to Life Through Contrology』は、1945年に出版されました。健康とフィットネスに対する自身のアプローチを解説しています。エクササイズのテクニックとその背景にある哲学を記すことで、ピラティスメソッドの孕む力と可能性を示しています。

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