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ピラティス エルダー Pilates Elder(長老たち)⑧

メアリー・ボーエン(Mary Bowen, 1930-)

1930年1月19日、ニューヨークで生まれました。家族には高学歴な両親のほか、9歳上と7歳上の姉がいました。イェール演劇学校と、アメリカン・シアター・ウィング(演劇のためのニューヨークの非営利組織)で学びました。哲学の教授になることを考えたときもありましたが、最終的には俳優の道に進み、コメディアンやミュージカルのパフォーマーになりました。
1956年、イェール大学医学部の夫と結婚し、ニューヨークに移りました。
当時まだ徴兵が義務付けられていました。夫の2年間の徴兵のため、夫婦はニューヨークからワシントンD.C.に移りました。そのころ彼女は20代で、夏季公演に参加しつつ、NIH(アメリカ保険福祉省)の精神科で再び秘書として働きました。
ニューヨークを離れる前から、友人から紹介されたユング派の心理療法士のもとに通っていました。演劇仲間からコメディで成功できると強く勧められ、自分でも向いている自覚があったものの、コメディを本業にしようという気にはなれず、自分でも理由が分からない、そのことが心理療法士を訪ねることになったきっかけでした。心理療法士との面談では、本当の自分として生きるために「家に帰った」感覚がありました。ワシントンD.C.への引っ越し後は夫も同行して、二人でワシントンD.C.とニューヨークを2週間ごとにバスで行き来していました。それはその後の人生で続くことになる、内面を探り、無意識と向き合う作業の始まりでした。
夫の2年間の徴兵が満了した時、二人はワシントンD.C.からコネチカット州に移りました。夫はイェール医科大学での仕事を始めました。
 
腰の具合に不安を感じていた彼女は、数年前に読んだある新聞記事を思い出しました。ジョセフ・ピラティスに関する記事で、彼の印象的な言葉が当時、彼女をとらえたのです。
「私のすべてのメソッドは、赤ちゃんと猫の動きをもとにしています」
このことを思い出し、数年を経た後、ジョーのもとを訪れることになりました。1959年よりジョーの下でピラティスを始めます。ジョーとの2回のセッションでメアリーは腰痛が治ったと証言しています。
 
1975年、ロマーナ・クリザノフスカの許可を得てマサチューセッツ州ノーサンプトンに自身のスタジオ、Your Own Gymを開設し、ピラティスメソッドの指導を始めました。
1981年、スタジオをThornesというデパート内に移動しました。スタジオはデパートの最上階にあり、大きなスタジオとマッサージルームが2つ、サウナが2つ、大きな更衣室が2つありました。そこはその後27年間ピラティスを教える拠点となりました。
1995年、セッションにおいてピラティスと精神分析を融合させました。
2001年、アプローチ名をピラティス・プラス・プシュケ(Pilates Plus Psyche)と命名しました。
ジョーと出会ってから60年以上ピラティスに携わっていますが、メアリーは今でも、「ティーチャーは常に生徒であるべきだ」と信じ、すべてのピラティスティーチャーは自分のピラティスをチェックしてくれる優れた指導者を見つけるべきだと主張しています。彼女は現在もトップレベルのピラティスエルダーおよび精神分析家として、活動を続けています。

 

 

 

 

 

 

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