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ピラティス エルダー Pilates Elder(長老たち)⑦

ハンナ・サクミルダ(Hanna Sakmirda, 1925-2005)

メアリー・ボーエン曰く、ハンナはドイツ人であり、スタジオで最も長く勤務したティーチャーで常にジョーとクララのそばにいたそうです。それ以外はほとんど知られていません。
 

ジェローム・アンドリュース(Jerome Andrews, 1908-1992)

ニューハンプシャー州のプライストーで生まれました。シアトルのCornish College of the Artsに通い、そこでアメリカンダンスと振付を学びました。彼もまたマーサ・グラハムや ドリス・ハンフリー、ハンヤ・ホルムからアメリカのモダンダンスを学びました。彼は1931年から1937年の間ロックフェラーセンターの近くにRadio City Music Hallで頭角を現しました。この時ジョーのスタジオに来ていたと考えられています。
第二次世界大戦後、1952年にパリに移住しました。バレエ発祥地のフランスではモダンダンスが受け入れられないと知っていましたが、そこでJerome Andrews Dance Companyを設立し、1992年10月26日に亡くなるまでパリで過ごしました。

 

ボブ・シード(Bob Seed)

ジョーから直接指導を受けて自分のスタジオを出したのはキャロラ・トリアーとボブだけです。ホッケー選手からピラティス指導者に転身したボブは、ジョーのスタジオのワンブロック向かいに自分のスタジオをオープンさせました。ジョーの顧客を奪おうとしたのですが、それがジョーに知られました。ジョーは銃を持ってボブのスタジオを訪れ、街から出ていくように警告したそうです。ボブはその地を去り、その後の詳細は分かっていません。

ナジャ・コーリー(Naja Cori )

ナジャ・コーリーは以前ドロレス・コリ(Dolores Cori)として知られたダンサーで、ニューヨーク5番街のヘンリ・ベンデルデパートにあるジョーのスタジオをジョーから引き継ぎました。1965年、ヘラルド・トリビューン紙には「ヘンリ・ベンデルのオペレーションを担当するのは、数年間ジョーのもとで訓練を受けたダンサーで、ジョーいち押しの生徒かつアシスタントのコーリーである」と掲載されました。
1972年のキューマガジンでは、彼女の実践と指導に関する記事の中でこう述べています。「7年近く前、ミス・コーリーはヘンリ・ベンデルの美容フロアにコントロロジーというピラティスのシステムを導入しました。彼女の(セッションの)順番待ちリストを見れば、そのメソッドがいかに成功しているかが分かるでしょう。このさわやかな白いスタジオに足を踏み入れたら、生徒はただちに、自分の限界を超えたいという気持ちにさせられます。そして彼女ならそれを本当に実現させることができるのです」。
彼女自身のプログラムは「ボディエコノミクス」といい、足の内側アーチのためのエクササイズは現在でもアーチイン・アーチアウトというエクササイズとして残っています。これらは身体のアライメントとを改善することで、効率良く身体を使う運動を可能にするものでした。ベンデルのスタジオをやめた後に、別のデパートと思われる場所でも自分のメソッドを教え続けています。

 

 

 

 

 

 

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